墓参り

 今日は母の命日である。もう、何年前かも忘れてしまったし、父に言われなければ、命日が今日であることも気がつかない私だが、せっかく実家に住んでいるので墓参りに行こうと思う。
 外は晴天。線香ぐらい持っていこう。そう思いながら自転車をこぎ始める。晩秋の風は冷たいけれども、日差しがあるので体が温まってくればちょうどいいぐらい。こう言う時って故人が晴れさせてくれてるなんて言う台詞のドラマもあるけど、いくらなんでも私一人の都合の為に天気を変えてくれるはずもないだろう、などと言う、くだらないことを考えながら35分。お寺に到着した。
 墓地の入り口に「線香に火をつける場所」と言うのがあるので小さなコンクリの小屋に行くと、小さなガスレンジが1つだけある。なるほどコンクリ剥き出しの壁なので、燃える物も無く理にかなった場所だ。ガスレンジに火をつけて、持参した線香2束に火をつける。ちょっと湿っているのか火の着きが悪いが、時間をかけて丁寧に火を着けてお墓へ向かう。
 あれっっ、お墓に花がある。枯れてないから最近のもの?、お寺の住職さんがたまに活けてくれてるのだろうか?そういえばお墓も綺麗。比較的最近のお線香の燃えカス・・・えっ!線香のから煙?私は、一瞬、目を疑った。自分の持っている線香の煙と燃えカスが視覚的に重なっただけだろうと思いなおした。
 そして、持っている線香を供えつつ詳しく見てみると、確かにまだ火が着いている。良く見ると、墓石には濡れている。雨も降っていないので、誰かが水をかけたのだ。周りの墓石は乾いている。そして線香と花。間違いない、誰かが墓参りに来ていたのだ。しかも1時間以内の話。
 私は考えた、いったい全体、誰がこの墓に来るというのか?墓参りを促した父が来るわけも無く、兄も来るとは思えない。親戚も近くには住んでいない。私は、お墓参りよりも、そちらが気になって仕方がない。そこで、周りを見渡すと、うってつけの人がいた。左官屋さんである。なにやら、墓所と寺の間にある敷居の土台をコンクリートを塗って直している。これなら、1時間はここに張り付いていたに違いないし、作業の場所は、お墓までの通り道。お盆でもないから多数の人が来ることもないだろうし、何か覚えている可能性は高い。
 私は、近づいて声をかける。
「すみません、誰か、1時間以内ぐらいに、この辺の墓に墓参りに来てなかったですか?」
私は人見知りだし、職人が作業しているときに声をかけるなどと言うのは、気が引けるのだが、ここは声をかけねば始まらない。すると私の顔を一瞬だけ見て、作業に没頭する若い職人は、手を止めずに話してくれた。
「親子連れがいましたよ。」
親子連れ、あ、そうか!
「その方は女性でしたか?」
「ええ、子供は2人ぐらいだったかなぁ。」
私はちょっと考えて、
「そうですか、忙しいところ、ありがとうございます。」
職人は、何も答えず仕事に没頭していた。
私は後ろから感謝の気持ちを送りつつ、その場を去った。
 帰りの自転車は、なんとなく気分が良かった。ちょっと寒いけど、気分は暖かい感じになっていた。
 母の命日を知っていて、女性で二人の子連れ。きっと兄の離婚した元嫁、つまり義姉だろう。自転車でなく、バスを使えば会えたかもしれないと思いつつ、いや、会わないほうが良いのかなとも思う。それでも、「母の孫である兄の子を連れて、命日に墓参りに来てくれている」と言うのは、なんとなく嬉しいではないか。子供たちは、中学生と小学生高学年ぐらいだと思う。家族の我々すら滅多に墓に来ないのに、彼女は毎年のように来てくれているかも知れない。縁は切れても親子であることも、孫であることも変らない。しみじみ思う晩秋の昼下がりでありました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA